ブログの挨拶に命を燃やしています!
どうも、あみさかです
僕は毎日更新を始めてからずっと同じ挨拶文と締めの言葉を使っています。
それを使い始めたときは「どういう思いで使うのか」というのは記事にしましたが、肝心の文の意味を書いていませんでした。
ということで、今回は僕のブログで使っている「かけがえのない日」・「命を燃やす」という2つの言葉について解説していきます。
「僕がブログの挨拶文と締めの言葉に込めた思い」と「どういう思いで決めたのか」ということはこちらの記事に書いています。

挨拶文と締めの言葉は印象を残すために
僕が挨拶文と締めの文を決めた理由はブログを毎日更新することにあたり、少しでも僕のブログの印象が残って覚えてくれる人が居ればいいなと思ったということです。
そして、記事の内容への入りや締めを毎回考えるのが面倒だったからです。
ちなみにそれらの文は、ブログへのやる気と僕の書いた記事を見てくれる人への感謝を表したものです。
挨拶「命を燃やしています」の言葉の意味
「命を燃やす」というのは、もちろん物理的な意味ではありません。
精神的な意味で使っています。
命が燃えてしまうぐらい熱心だということより、
「熱心に物事に取り組んでいる」、「本気でそのことに取り組んでいる」と解釈しています。
僕は人生をかけてブログ運営をしているので正しい使い方をしていると自覚しています。
ちなみに、野球観戦にも命を燃やしています。
締めの言葉「かけがえのない日となりますように…」の言葉の意味
「かけがえのない」というのは「掛け替えのない」と漢字で書き、他のものに代えることが出来ないという意味です。
僕のブログをわざわざ見に来てくれた人に対して感謝を込めて「毎日が思い出に残る日になって欲しい」という思いで使っています。
僕はブログを毎日更新しているので毎日見に来て欲しいという思いを込めて、「今日がかけがえのない日となりますように…」と、あえて「毎日」という言葉は使っていません。
それと、もう一つ意味があり
自分に対しても、ブログを書いている日々が大切な思い出になるようにという思いを込めています。
ブログを書くことによって1日1日が思い出になるように、それがずっと続いていくようにということです。
最初は「皆さんの今日がかけがえのない日となりますように…」という締めにしようと思っていたのですが、ちゃっかり自分もその言葉を受け取れるようにしちゃいました。
最後の「…」というのは深い意味を持たせているわけではありませんが、「…」というのはこの先にも続いていく言葉があるということから
「ここで終わらない」、「ずっと続いていく」という意味で入れてみました。
挨拶文と締めの文を使うメリット
挨拶文を固定すると文章の書き出しが少し楽になります。
「ブログに命を燃やしています!どうも、あみさかです」という挨拶はブログを始めてすぐの2019年1月中旬からずっと使っています。
記事の内容によっては「野球観戦に命を燃やしています!」などちょっと変えたりもしています。応用が利く文なので使いやすいです。
ただ、挨拶文を毎回同じにするのは必ずしも良いとは言えません。
冒頭の文を内容に関係なく書くので、ユーザーの方に思っていた内容と違うと思われる可能性もあります。
初めて僕のブログを見に来る人には「なんだコイツ」と思われるかもしれません。
もしかしたら読者の方でもそう思っている方もいるかもしれませんが…
ただ、挨拶文でオリジナリティーを出しておけば1度僕のブログを見た人には印象に残りやすいですし、もしブログが有名になれば挨拶だけで筆者が分かるようにもなります(僕のブログは有名になりそうにないです)
締めの文はほとんど悪い影響はないです。
「ロッテの今シーズンがかけがえのないものとなりますように…」などと応用を聞かせることもできますし、文章の締めに悩むことが無くなりました。
大体は「それでは、今日がかけがえのない日となりますように…」と締めています。
「それでは」と入れておけば違和感なく記事を終わらせることが出来るので便利です。
終わりに、探しものは意外な形で見つかる
僕はこの挨拶と締めを気に入っているので、当分の間は変更の予定はありません。
ブログ運営に命を燃やして頑張っていますし、毎日がかけがえのない日となるようにブログを書き続けています。
ちなみに、この挨拶文と締めの言葉はそこまで考え込んだわけではないです。
挨拶文を考えていた時に聞いていた曲に影響されて、その歌詞にあった言葉からヒントを得てこのような文になりました。
そのため、パクってもらっても全然かまいませんが全く同じ文にするのだけはやめてください。僕の記事だと分からなくなってしまうので
それでは、今日がかけがえのない日となりますように…
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